朝、起きてそう実感いたしました。
正直、潜在的な不安が、私に怖い夢をもたらしたのだと思います。
昨日は、面会に来てくれた母親と一緒に今の私の現状と、今後ケースをどうして行くのか、先生からのメールの内容について話し合いました。
子供のプレイケースを引き継ぐ事に結果なりましたが、それで臨床家人生が終わった訳ではない。寧ろ、己も生身の人間であることを自覚し、今回の入院を【神のくれた休息と救済】であるだろうという理解に落ち着きました。
『たしかにこの身体だと不自由な事はたくさんある だけど不自由である事と不幸である事はイコールじゃない』(鋼の錬金術師/アルフォンス・エルリック)
確かに、アルのいうとおりかも。こうなると、改めて実感するよ。
そして、もうひとつ。昨日、お隣りの方が急変して、ご家族の方がつきっきりでした。お世話になった方だったので、私も気が気であまり寝れませんでした。
こんな時、臨床家はどうあるべきなのか…考えさせられた夜でした。
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